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熊野神社と麦飯長者

熊野神社と麦飯長者

熊野神社と麦飯長者

高塚五郎兵衛

幕府時代(江戸時代)に、「施飯長者」として世に知られていた高塚五郎兵衛は、この地域の名族であって、代々、領主大沢氏(幕府高家職)の代官職にあり、名字帯刀を許され、従者に槍 1 本を持たせて歩くことができる身分であった。
常に領主に代わって、天皇の使者はもちろん将軍家や全国の大名でこの地を通過する者がある時は、接待役として自宅に迎え、旅情を慰めることを勤めとしていたとされる。
同家は、神仏を崇敬する心が最も深かったので、送迎の際には、熊野神社が武運の神であることを説き、参拝を勧めたのため同神社に神饌をたてまつる身分が高い人々が多くいた。

施飯長者

熊野神社は、東海道に面し、浜松宿と舞阪宿粗まんなかに位置する、そのため神社で休息する通行人が大変多く、徳川時代には参勤交代や他の所用の為に通行した諸大名が参詣する事が大変多かった。
宝永 2 年(1705 年)に、高塚村他5カ村が大沢氏の領地に加えられて以来、代官職の小野田五郎兵衛を、東海道を行き来する諸大名の接待役に任じ領地の境で送迎したり、自宅に迎えて旅情を慰めさせた。
そして、小野田家は代々徳のある行いをすることで有名な家柄であり、施飯長者の名が今に伝る、四孝女(4 人の親孝行な娘)が出たことでも知られるほどだったため、熊野神社に参詣する者や神饌料をたてまつる者が大変多かった。

※可美村役場文書神社関係史料報告抜粋